沿革

History(蛍光灯の開発販売から、現場向け受注業務の確立まで)

頂上到達 一瞬の喜びのために・・・

1945年終戦後、外務省の仕事に携わっていた近藤辰郎(創業社長)は友人の誘いにより、東和産業を神田須田町に創業した。
終戦後の品不足の中、横須賀に商品の買い付けに行った時、真空管でも白熱電球でもなく不思議なものを見つけた。
持ち帰って調べてみると、これが、当時海軍が使用した6Wの蛍光灯だった。試行錯誤して点灯してみると、これがなかなか良いあかりで、これはいける!と微かな興奮を覚えた。
専門家に教えを乞いながら、研究を進めると益々面白くなり、可能性を実感するが、商品化に至るには、まだまだ研究を重ねていかなければならず、安定器の製作には友人の力を借り、照明器具の開発に明け暮れた。

6W蛍光灯

そして、いよいよ曲がりなりにも製品が完成したが、その後は商品の販売に苦労することになる。
銀座通りのオフィス街を片っ端から訪問して、照明試作品を置いてもらうことに成功。
それをきっかけに、少しずつ売れ出すと宣伝のためのカタログの作成に取り掛かった。
見よう見真似で作った粗末な初めてのカタログで、このとき考えたアルファベットの頭文字を使用したH型、A型、W型、逆富士型、などの器具の名称はその後、照明業界の通称として使われた。

当時のカタログ

昭和24~5年頃になると、蛍光灯は『珍しいもの』から『実用的なもの』へと変わってきた。
大手メーカーから中小企業まで、蛍光灯の本格的な大量生産が始まった。
当社も、先行企業として『蛍光灯スタンド』など手掛けてきたが、やはり大手メーカーの資金力と、販売力、信用力は日に日に脅威となってきた。そこで、当社の基盤をつくるべく、時代は白熱灯の点光源から蛍光灯の線光源となることを確信し、施設工事現場向けの受注生産体制への転換を実行した。

しかし、全くの白紙からのスタートであり大手建設会社への営業活動やPRの為の新聞社を回る日々が続く。そんな折り東京新聞の工場の照明の状況を目の当たりにし、『無償でも』とサンプルを取り付けたところ、現場のスタッフから大好評を受け、全工場の照明取り換え工事を受注することができた。その後、当時アメリカから帰国した大同毛織の社長命令で神田の社屋にも蛍光灯への取り換え工事の話が持ち上がり、社運を賭けて営業、照明器具の製造受注をすることが出来た。これらの工事は、その後様々な分野の方々の見学を受け、大きな評価を得て、当社の実績として大きな基盤となり現在にいたっている。

沿革

1946年11月(昭和21年)
大正元年設立の摂津ゴム株式会社電気部から分離
東和産業を創業、東京都千代田区神田須田町において蛍光灯および一般照明器具の製造販売を開始

1951年12月(昭和26年)
東和螢光燈照明株式会社設立

1953年5月(昭和28年)
世田ヶ谷工場を建設。蛍光灯照明器具の本格的製造を開始

1961年12月(昭和36年)
世田ヶ谷工場隣接地に本社社屋を新築し、神田須田町より移転

1973年1月(昭和48年)
商号を現在の東和ライティング株式会社に変更

1996年6月(平成8年)
新社屋竣工

2008年4月(平成20年)
都建設業許可を取得

2014年5月(平成26年)
都登録電気工事業者の開始届出

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